ひきこもりの稚拙な考察

社会に対して懐疑的な視点しか持ってない

福沢諭吉の思想が「危険」である件

福沢諭吉と言えば「脱亜論」を唱え、日本の近代化を推し進めたとして知られ、朝鮮の侵略論者としても認識されています。この福沢に関して、韓国と日本では待ったく違った認識がなされています。

 

朝鮮から見た福沢

福沢は儒教のような東アジアの伝統を否定しています。その福沢が19世紀末に唱えたのが「朝鮮改造論」です。当時朝鮮は清と宗属関係にあり、清に政治的にも文化的にも依存した状態でした。しかしそのような状態では国としての発展は期待できないため、福沢は朝鮮の内政に日本が介入し、黒船来航以来のアメリカが日本の改革を推し進めたように、日本が朝鮮を開化させるべきであると主張します。そして朝鮮の開化派である金玉均らにクーデターの支援をし、朝鮮改造の補助をしました。

一方で朝鮮側からすれば、福沢は朝鮮の伝統を否定し、さらにクーデターの支援者の一人として認識されています。そのため朝鮮の人たちは今でも福沢に対して良い印象を持っていません。

 

福沢の思想

福沢が朝鮮改造論を唱えるようになった背景には、「義侠心」と「文明主義」があります。「義侠心」とは優れた者が弱いものに対して行う補助、すなわち朝鮮に対する文明化の推進です。「文明主義」とは、相手国の文化を重んじてそれに適した形で文明化を推し進めるという考えです。相手の文明の程度に合わせて改革を推し進めて行くという発想ですから、いかにも柔軟でリベラルな感じがします。しかしこの福沢の思想は、ある意味とても危険な発想といえます。

「義侠心」の発想は、アジア全体に文明化をもたらそうとする「アジア主義」に行きつきます。とてもロマンのある思想に見えますね。しかし「文明主義」の観点からすると、日本の文明の方が当時は東アジア(とりわけ日清朝)の中でも抜きんでているため、日本が東アジアの文明化を推し進める「植民地主義」にたどり着きます。このアジア主義植民地主義が重なるとき、それは日本のやり方を押し付ける「同化主義」の発想を生み出すのです。

これはアメリカの中東への介入にも当てはまります。アメリカは「人道主義」という義侠心と「民主化」という文明主義の観点から中東に介入してきました。しかしその結果としてイラク戦争やシリアでの内戦など、数々の泥沼化した戦争を起こしてきたではないですか。

 

福沢は一体何を間違えていたのか。それは福沢が自身の思想がはらむ危険性について認識していなかったことだと思います。